雑誌・新聞に掲載された
「関西BB」記事情報


構成:はかせ@SiteNav.


この頁では、新聞・雑誌などで取り上げられた関西BB(沖縄アクターズスクール関西マキノワールドポップス)に関する記事を紹介します。
※表現上の問題など、一部修正して転載しています。ご了承下さい。
※また、日程や数字データ、年齢等は掲載当時のものですから実際とは異なる場合があります。

●産経新聞

『夢を描いて
〜アクターズスクールの青春』
(2000/11/8掲載分)
沖縄アクターズスクール関西の大阪校では現在、 約300人の生徒が明日のアーティストを目指し、レッスンに励んでいます。
「テレビを見て、みんなすごく楽しそうでした。 中学を卒業して沖縄のアクターズスクールに行こうと思っていました。 大阪に開校することを知ったときはうれしかった」と話すのは開校してすぐ入学した 高校一年の森ちえみさん(16)。
森さんは神戸から1時間かけて通っています。
「学校よりこっちでレッスンしているほうが楽しい。学校の友達は『頑張りや』といってくれています。 アクターズスクールに入っていろんな子と接することができます。 歌やダンスだけでなく考え方が学べます」と話してくれました。
兵庫県の中学一年生、依岡亜弥さん(12)も二月から通い、ダンスチームに入っています。
「SPEEDや安室さんとかを知って小学校の6年生の頃から自分も歌ってみたいなと思いました。 お母さんも歌が好きで入学に賛成してくれました。体を動かすことが楽しい。 好きなことをやっていきたい」
大阪市内の大阪校と泉佐野市のりんくう校は基本的に年齢別のクラス編成です。
高校生以上のAクラス、中学生のBクラス、小学校6年までのCクラス、 そして大阪校にはボーイズクラスがあります。
入学金や授業料など初年度は年間50万円と安くはない費用がかかります。
「生徒募集の宣伝はしていない」(同校)が、生徒は少しずつ増え、 来年は1クラス増設する予定ということです。
「見学してもらって入学は随時OKです。一年間通えることが条件。 子供がやりたくないのに親が子供をスターにしたいだけでは、子供も頑張りようにない。 入学は親子で面接します。学校と両立してやるように話します」 と話すのは同校事務所の大浦奈美さん。
森さんは週に2回の自分のレッスンに加え、 ヘルプインストラクターとして土日の小学生のクラスの面倒を見ています。
「ヘルプインストラクターをやり、自分の一生懸命教えたことで 子どもたちができるようになるのがうれしい。もっともっと勉強して みんなから信頼されるようになりたい」と目標を話してくれました。

(2000/11/15掲載分)

沖縄アクターズスクール関西は熱意さえあればだれでも受け入れてくれます。
ほとんどの子どもたちは一般入学ですが、中にはオーディション経験者もいます。
大阪校に通う小学6年生、菅崎茜さん(12)は、2年前、 アクターズスクールのオーディションを受けました。
参加者は全国で53,000人以上にのぼり、 予選では一度に50人ほどが舞台で歌うという大きなスケールのオーディションでした。
菅崎さんは大阪の予選を勝ち抜き、東京の決勝でSPEEDの曲を歌い、 グランプリ9人の1人に選ばれました。
「小学4年生のときです。歌やダンスが好きで歌手になりたかった。 オーディションは友達が誘ってくれて一緒に受けました。 グランプリは取れると思っていなかったのでびっくりしました」。
開校前は月1回のペースで地区レッスンを受け、今はソングチームに入っています。
「歌手になってみんなに認めてもらいたい」と話してくれました。
京都府の中学2年生、吉川景子さん(14)もオーディション受験組の1人です 。昨年12月、大阪校開校のために万国博ホールで行われたオーディションに参加しました。
このときの参加者は約3,500人でした。
「オーディションのことを知らなくて、友達が誘ってくれて挑戦してみたいなと思いました。 マイペースな性格なのであがらずに歌えました」。
おかげで見事、優秀賞(3人)を取ることができました。
音楽を聴いて自由に踊れるようになるなど、少しは上達したかな、と話します。
「お客さんに向かって自分の伝えたことを、自分伝え方でできるようになりたい」
と抱負を話しました。
2人は能力を認められ同校で10人にも満たないピックアップメンバーとして活動しています。
メンバーに選ばれると沖縄アクターズスクールのトップグループである B.B.WAVESと同じステージに立つ機会も増えるのです。




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●読売新聞

(2001/1/10夕刊掲載)

『活写2001
:「若者たちの新世紀」』

いよいよ幕を開けた21世紀。
どんな100年になるのか、その方向を決めるのは若者だ。
IT、スポーツ、芸能……各界で活躍が期待される人たち、 新たな時代を築こうと懸命に取り組む人たちに、会った。

ダンス

地下4階のダンスフロアは一面鏡張りだ。
沖縄アクターズスクール関西マキノワールドッポップス。 ここで6歳から20歳まで約400人が歌って踊れるスターを目指し、練習を続ける。
豊かな表情、激しい動きのダンスがさまになっている。

続々とスターを生む沖縄の本校に続き、昨年2月、大阪市中央区大手前に開校した。
群馬や千葉から通う子もいるという。

京都の中村彩香さん(12)は毎回のレッスンが楽しみで、
「電車に乗るのなんか全然しんどくない」。
大阪の山崎歩さん(11)は
「家で歌ってると怒られるけど、ここでは思いっきり大きな声を出せる」。

実際にデビューできるのはほんの一握り。その夢を追って、懸命だ。




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●週刊朝日 2001/9/7号

(2001/8/30掲載)

表紙番日記75
2001年美少女モデルE
新山のぞみ

カメラの前で「笑って」なんて言われても、うまく笑顔なんかつくれません。本格的な撮影初体験のモデルたちなら、なおさらのこと。
それはわかってるけど、のぞみちゃんには「元気に笑って」なんて注文をつけました。大阪でダンスをレッスン中の中学2年生。人前で踊ることもあるというから、元気な感じを出したかった。
最初は雨の中の撮影。寒くて、足元も滑って、なかなか調子が出ない。海岸で再チャレンジ。途中から「笑って」と言わないようにしたら、自然ないい表情になりました。そうだよね。ごめんごめん。
「おっとりしてるとよく言われる」けど、ダンスのときは別人になるんだって。その姿も見たかったな。

週刊朝日・藤井達哉

※ 表 紙
(写真…久宝幸子・スタイリスト…堀越絹衣・ヘア&メーク…新井克英・アートディレクター…井上嗣也)


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●東京新聞

『解き放つ心/才能見えた』
沖縄アクターズスクール横浜校
体験ルポ
(H13/10/4掲載)
ヒットチャートをにぎわす安室奈美恵さん、DA PUMP、SPEED(解散)らを育てたことで知られる「沖縄アクターズスクール」の横浜校が六月、横浜市中区にプレオープンした。
若者の才能を開花させる秘けつでもあるのだろうか。その答えを見つけるには「才能を磨くプロセスを体感するしかない」。
記者は勇気を振り絞り、レッスンに飛び込んだ。以下は六月から九月の正式オープンまでの体験記−。

六月九日

スクールのレッスン会場は山下公園に係留されている氷川丸にある。横浜を代表する観光スポットに集まる人の波をかき分け、乗り込んだ。
レッスン初日の生徒は五歳から二十二歳の三十人。男性は三人だけ。つい、目立たぬよう、列の後ろの方に潜り込む。
レッスン開始。発声、両足でリズムを刻む「ビート」と呼ばれるダンス練習、歌の練習と続く。中でも、向き合った生徒同士が心を解き放ち、ありったけのエネルギーをダンスと歌で闘わせる「バトル」は、スクールの定番レッスン手法だ。
周囲を鏡で囲まれたレッスン場では隠れても無駄だった。自分も挑戦するしかない。
恥ずかしい。体が動かない。周りも気になる。表情も硬くなる。厚い心の殻を破らねば…。
最初は生徒もおとなしく、なかなかクラスに覇気が出ない。インストラクターが生徒に呼び掛ける。「マイペースでいい。恥ずかしがる自分と闘おうよ」

七月十四日

「もう、きょうはレッスンやめて帰ってもいいよ。過保護にはしない」
インストラクターの言葉で教室の空気が一変した。レッスンは生徒の“自律”が大前提。自由なだけに、自分を律する厳しさが求められる。
インストラクターはみんな生徒出身者。チーフインストラクターの牧野アンナさん(29)は「スターになれれば幸せなんて保証はない。自ら才能を見いだし、はぐくんでいけるハートをつくることが先決」と戒めた。

七月二十一日

クラスに変調の兆しが出る。特に目を引いたのは、一年間のOL生活後、惰性的な生活が続き「このままではダメ。自分を、人生を変えたい」と入門したインストラクター志望の長松千恵子さん(21)だった。
彼女の鬼気迫る姿に、「僕らも負けていられない。みんなで沖縄や大阪校に負けない横浜校をつくろうよ」。秀浦拓磨さん(18)が声を上げた。
八月に入っても、インストラクターは訴え続けた。「漠然とレッスンしてても意味はない。テーマを持って、具体的に観客をイメージしてできてる?」
仲間のレッスンをただ傍観するだけだった生徒から笑顔が見られ、拍手が起こる。仲間の後押しがどんなに心強く、自分の力に変わるか、自分にも痛いほど感じられた。

九月九日

曲に合わせ、自然と笑顔や怒りの表情が出ていた。大きく腕を広げ、側転や逆立ちも。自分が感じた通りに表現してみる。バトルってこんなに楽しいものだったのか…。いつの間にか、自分も厚い“心の殻”を破っていた。
短大保育科一年の鈴木百合さん(21)の表情は明るかった。「将来は教育関係の仕事がしたい。ここで学んだハートは、どんな仕事でも応用できると思います」。

   ×   ×
横浜校は、同スクールの首都圏初の本格的拠点として誕生。九月の正式オープンを機に年齢制限のない「ハイパークラス」も開設した。今後、障害者クラスも設置される予定だ。
「日本の教育革命を目指す」というマキノ正幸校長(60)は「プロデューサーは生徒自身。生徒同士で学び合い、自らイベントも企画して開く。長い目で、自分が最も輝ける才能を磨き、人々のために生かす素晴らしさを知ってほしい。横浜校は新しい教育の実験場です」と強調。「例えば野球科など、将来は才能育成に特化した学校が公的に認可されてもいい。点数だけで評価しない教育の選択肢を用意したい」と意欲を見せる。
アクターズスクールは芸能学校から“才能学校”への転換期にあるという。
数々のビッグネームを送り出してきたが、今、生徒の志望一番人気はインストラクター。もはや芸能界デビューではない。ボクシングに目覚め、プロボクサーを目指す生徒も。マキノ校長が言うように、今後、ゴルファーやカメラマン、プロデューサーなど、多様な才能開花が予想されるという。
二十一世紀の新しい教育のヒントがここにあるかもしれない。

文・岡博大(東京新聞)



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●サンケイスポーツ

『踊り踊れ・年齢不問、誰でも歓迎!
「ハイパークラス」』
(H13/11/7掲載)
ミドル大汗・B・B・WAVESの「基本」みっちり
強烈なビートに、ほとばしる汗。若さが弾けるダンスフロアに、オーッと、いました! おなか回りがちょっと太めのナイスミドル。
あの沖縄アクターズスクール・マキノワールドポップスが、この秋から大阪校に新設した年齢不問の「ハイパークラス」。ミドルもシニアも大歓迎と聞き、現場に急いだ。

1レッスン1500円

ハイパークラスは、土曜の午後6時と、日曜の午後4時から各1時間、大阪・天満橋のOMMビル地下4階にある同校のレッスン場で開かれる。
“安室”や「DA PUMP」を育てたレッスンをより多くの人に体験してもらい、エンターテインメントの楽しさを知って欲しいと、年齢の上限を無くした新コース。
受講生は、6歳以上の約50人。 鏡張りのレッスン場には、ストリートファッションの少女にまじって、ジャージー姿が数人。 先生は、沖縄本校の2人と大阪校の7人の女性インストラクター。 15歳〜20歳という若さだが、本科で鍛えられた抜群のビート感と豊かな表情で、レッスン場のテンションを、どんどん上げてゆく。
といっても、インストラクターが見本の振り付けを見せ、生徒がそれについていく、といったレッスンを想像すると、まるで違う。 インストラクターからの指示は、「アナタがいま、感じている心を、自由に動きで表現して下さい!」
最初は、鏡に向かって。次は、「バトル」で…。 バトルとは、生徒同士がペアを組み、向き合って互いのエネルギーと心をダンスでぶつけ合うスクールの定番レッスン。 激しいビートがフロアを震わす中、1対1の“戦い”に、見ている方までテンションがあがる。
「エンターテインメントは、ステップや振り付けではありません。 ハートをどう動きで表現するか。ハイパークラスでは、高度な技術やプロとしての体づくりまでは追究しませんがしませんが、基本コンセプトは本科と同じです」と、沖縄校のインストラクター中村奈美さん(20)。
4ヵ月ごとにスクールが開催するイベントに参加するという目標もある。 参加者の中でひときわ目立っていた大阪府の会社員、松本健作さん(57)は「娘が『B.B.WAVES』のファンで、クラスの新設を知りました。 運動不足だし、アクターズのレッスンならと思って…。1レッスンあたり1500円とい手軽ですしね。 でも、この1時間は、けっこうキツイ」と苦笑い。
B.B.WAVESは、スクール全校の中から選ばれたトップ生徒約100人による世界最大級のポップス・ユニット。 12月2日、尼崎アルカイックホールで彼らの開くコンサートが、ハイパークラスの初舞台にもなる。
ミドル、シニア、ファミリーの皆さん、一度のぞいてみてはいかが?

全国展開を開始
沖縄アクターズスクール・マキノワールドポップス=83年4月沖縄本校開校。
マキノ正幸校長のもと、90年代後半から、安室奈美恵さんや「DA PUMP」などヒットチャートをにぎわすアーティストを続々と輩出、注目を集める。 昨年2月全国初の姉妹校を大阪に開校、「マキノワールドポップス」の名称で全国展開を開始。
現在、本校、大阪校、今年9月開校の横浜校を合わせ、本科500人、ハイパークラス100人が学ぶ。
大阪校は、地下鉄(谷町線)・京阪「天満橋」駅下車5分のOMMビルB4F。
TELはフリーダイヤル0120・770・760。




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●サンケイスポーツ

『サンスポ・イメージガール
関西B.B.WAVES誕生』
(H13/11/19掲載)
25日「尼崎シティ国際マラソン」でデビュー

安室奈美恵(24)、SPEEDらを輩出した沖縄アクターズスクールから「サンスポ・イメージガール 関西B・B・WAVES」が誕生した。
歌とダンスのオーディションで選ばれたのは、11歳から21歳までの関西在住の19人。
サンケイスポーツなどが主催し、今月25日に兵庫県・尼崎市記念公園陸上競技場をスタートする「ユニセフカップ2001尼崎シティ国際マラソン」でお披露目される。
今後は、マラソンなどのイベントに出演し、パフォーマンスで盛り上げる。

沖縄アクターズスクール大阪校から誕生
イベント盛り上げま〜す


未来のスターを夢見て、レッスンに励む少女たちが、サンスポ・イメージガールとして活動することになった。
選ばれたのは、昨年2月に開校した沖縄アクターズスクール関西・マキノワールドポップス大阪校のメンバー。
沖縄アクターズといえば、安室、SPEED、MAXらを輩出したことで知られるが、そのトップ集団が「B・B・WAVES」なのだ。
「B・B-」とは、平成8年に同スクールで才能を認められたメンバーによって結成されたグループ。
現在は大阪校、横浜校のメンバーも含む総勢150人のグループとして全国でコンサートやイベントを展開。
その実力は、ジョイントコンサートで共演したグラミー賞受賞アーティストや海外で活躍するダンサーたちも絶賛するほど。
大阪・天満橋のOMMビルにある大阪校で、トップを走る約50人で「関西B・B・WAVES」を構成。
そのメンバーの中からサンスポ・イメージガールが選抜されることになった。
最終選考となるオーディションは、マキノ正幸校長が見守る中、同校で行われた。
それぞれ名前と年齢を自己紹介した後、牧野アンナ・チーフインストラクターの指導のもと、まずは全員でダンス。
思い思いの動きで自己表現した後、6人、3人などユニットでのパフォーマンスも披露。
最後に全員で歌とダンス。
体をいっぱいに使って、表情豊かに個性をアピールした。
選ばれたのは11歳から21歳までの19人で、平均年齢は14.9歳。
一同は「うれしいです、がんばります」と初々しく声をそろえ、今月25日の「ユニセフカップ2001尼崎シティ国際マラソン」でサンスポ・イメージガールとしてのデビューを飾る。


◆サンスポ・イメージガール関西B.B.WAVES◆
赤井理恵(14・兵庫)/新山のぞみ(13・大阪)/梅中ゆり(14・大阪)/片岡春香(15・大阪)
上出キャンディ(15・大阪)/川端玲菜(15・大阪)/吉瀬真里(17・大阪)/木村淳代(15・大阪)
久保みゆき(15・兵庫)/実 奈苗(12・大阪)/瀧川 美由紀(18・京都)/月木 万起子(21・大阪)
林 樹里(13・大阪)/正城 絵理佳(16・兵庫)/増永あゆみ(13・大阪)/森ちえみ(17・兵庫)
山崎 歩(11・大阪)/吉川景子(15・京都)/米村彩乃(14・滋賀)




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●サンケイスポーツ

『サンスポ・イメージガール
関西B.B.WAVESデビュー』
(H13/11/26掲載)
「尼崎シティ国際マラソン」

安室奈美恵(24)らを輩出した沖縄アクターズスクールの大阪校から選ばれた「サンスポ・イメージガール 関西B・B・WAVES」の木村淳代(15)らメンバー4人が25日、兵庫・尼崎市の尼崎市記念公園陸上競技場などで開催された「ユニセフカップ2001尼崎シティ国際マラソン」にゲスト出演した。

サンスポ・イメージガールとして「関西−」がイベントに登場するのは初めて。
レース前には、応援に駆けつけた沖縄校の喜瀬健(16)らとともに舞台上でヒップホップの曲に合わせ、テンポよく準備運動のストレッチを指導。
その後も、「風に叫ぶ」などオリジナル2曲をバックに、キレのあるダンスを披露して同大会を盛り上げた。
※写真はイベント参加メンバー
(大会を盛り上げた(左から)依岡亜弥・水間理沙・斧渕貴昭・喜瀬健・藤井貴文・山田祐子・木村淳代





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●読売新聞

『ダウン症の子ども
ダンスでいきいき』
(H14/3/1朝刊掲載)
大阪や広島など プロの指導者が本格レッスン

ダウン症の子どもを対象にした本格的なダンスレッスンが、大阪や広島など全国5か所で行われている。
芸術的な才能を引き出し、楽しめる場をつくろうと、歌手の安室奈美恵さんらが学んだ沖縄アクターススクールが、日本ダウン症協会と協力し実現。夏には神奈川でイベントを開き、成果を披露する。


大阪市中央区の商業ビル地下にある沖縄アクターズスクール大阪校。二月初旬の日曜日、一面鏡張りの広いレッスン場に、軽快な服装をしたダウン症の子どもたちとその家族約八十人が集まった。
「みんな思いきり体を動かしてみて」。舞台に立つこともあるインストラクターの中村奈美さん(20)がアップテンポの音楽に合わせて踊り始めると、子どもらもまねるようにリズムに乗り、跳んだりステップを踏んだり。
同市の藤沢亜利紗ちゃん(4)と手を取り合って踊っていた母親の千代子さん(37)は、「娘は家でもよく歌ったり踊ったりしています。今日は私も一緒に楽しめました」と、弾んだ表情で話していた。
レッスンのきっかけは、同スクール横浜校が昨年十月、年齢や障害の有無による制限をなくした「ハイパークラス」を開設し、そこに日本ダウン症協会のメンバーが参加したことだった。
年一回、芸術創作活動のイベントを行ってきた協会は、三回目にあたる今年八月、ダンスパフォーマンスを開く予定にしていた。協力を求められたスクール側は、すぐに快諾し、本番に向けて二月から、大阪、広島、東京、仙台の五か所で、月に二回(各六十分)プロのインストラクターによる低額のレッスンを始めた。
アクターズスクール代表のマキノ正幸さんは、「ダウン症など生まれつき障害を持つ子どもたちは、ストレートに物事に向かっていくし、情熱をそそぐときちんと反応がかえってきます。支援というより、得るものが大きい」と話す。
指導を担当した中村さんも「障害があってもなくても、歌やダンスが好きな気持ちは変らないと改めて感じました。みんなとても純粋な目をしていて、こちらがエネルギーをもらった」と力をこめる。
障害者の就労や暮らしを支える場はいろいろあっても、お酒を飲んだり、歌や踊りを楽しんだりするレクリエーションの場はまだまだ少ない。今回のダンス教室が、そうした場を広めるきっかけになればと関係者は期待する。
「障害者が施設の隅で生活するのではなく、どんどん外に向かって自己表現する時代だと思う」と、同協会理事で親の会の代表も務める中村信彦さん。「ダウン症の子どもはすばらしい芸術感覚を持っていると言われる。こうしたレッスンをきっかけで、ダウン症のダンサーが生まれればいいですね」と話している。


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●サンケイスポーツ

ノリノリ!「B・B・EGG」
阪神・星野監督の応援ソング初披露
(H14/3/15掲載)
「星野仙一監督”激励”応援会」

親子でプロ野球・阪神タイガースの星野仙一監督を応援する”星の倶楽部”発足を記念して「星野仙一監督”激励”応援会」が14日、大阪・北区のサンケイホールで行われた。
「−応援会」にはサンスポ・イメージガールとして活動中の木村淳代(16)ら沖縄アクターズスクール大阪校のトップメンバーで構成するユニット「B・B・EGG」も出演。この日は、37人のメンバーが黄色と黒の衣裳で歌とダンスのパフォーマンスを繰り広げた。
また”星野新監督応援ソング”として作られたオリジナル曲「TAKE OFF」も初披露。♪TAKE OFF 未来をつかめ− と、星野・阪神にエールを送った。


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●産経新聞 (多摩版・武蔵野版・都内版・下町版)

「上京人」
沖縄アクターズスクール・インストラクター
牧野アンナさん(30) 上京歴1カ月半
(H14/6/16掲載)
安室奈美恵(24)やSPEEDを生んだ「沖縄アクターズスクール」。本家は沖縄だが、その分校が横浜港の山下公園先に浮かぶ氷川丸に開かれて1年になる。

「はい、次の曲いきます!」

インストラクターの牧野アンナ(30)が音響装置の前に立ち、強烈なダンスビートを船倉に響かせた。色とりどりのTシャツを着た25人の若者が激しく踊り出す。ほとんどは女の子だ。

アンナは4月28日、沖縄から3回目の上京をしたばかり。最初はアイドル歌手の卵として、2回目はアイドルグループの一員として。どちらも挫折の果てに帰郷した。

そして今度が「3度目の正直」。


東京生まれだが、1歳のとき一家で沖縄に移住。11歳だった昭和58年、父親のマキノ正幸(61)が開校した沖縄アクターズスクールに入り、ダンスや歌を始めた。

「当然のように歌手を目指していました」

14歳のとき、仲間の少女のデビューが決まった。スクールの東京進出第1号だった。自分もデビューしたくて、父親に無理を言って上京した。父親のいとこの俳優、津川雅彦(62)宅に居候し、渋谷のアメリカンスクールに通いながらレッスンを続けた。

1年後、「ラブソング探して」でデビュー。けれど、「1枚目はそこそこいったけど、2枚目は全然売れなくて」。半年ほど原宿でアルバイトしながらレッスンを続けたが、16歳のとき沖縄へ帰った。

父親から「お前はオモテの才能はないから、ウラに徹しろ」と告げられ、スクールでインストラクターの助手を始めた。

「でも、まだ未練があった。もう1回、試したい」


4年後、父親の反対を振り切って、スクールの後輩4人と「スーパーモンキーズ」を結成した。自分は20歳、後輩はみんな14歳か16歳。その1人が安室だった。

アイスクリームのCMに出演して琉球空手を披露し、シングル曲「ミスターUSA」を出した。半年後、「やっぱり自分はオモテじゃないな」と感じた。沖縄の父親に電話して、「わたし、間違ってました」。グループを脱退し、2度目の上京は10カ月ほどで終わった。

スーパーモンキーズはその後、「安室奈美恵withスーパーモンキーズ」として再デビュー。安室はスターへの階段を2段飛びで駆け上がっていく。

「安室奈美恵って子と並んで舞台に立ったとき、『努力でどうなるもんじゃない』って肌で感じた」

それなら、自分がいちばん輝ける場所を探そう。そう決めたとき、インストラクターの仕事があった。

生徒の中に、やがてSPEEDとなる少女たちがいた。父親は「こいつらを徹底的に育てろ」と指示した。「『あのSPEEDを育てたインストラクター』として、お前も注目されるぞ」。スクールは次々とスターを東京へ送り出し、「沖縄の時代」と呼ばれた。現在は200人いる沖縄校の本科生は当時、450人にふくれあがった。アンナにマスコミの取材が殺到した。

「テレビに出るうち、勘違いしちゃったんです。『わたしはすごいんだ』と」


今年3月31日、沖縄のスクール内で発表会があった。校長である父親は見終えた後、「チームワークがないし、みんなの中に輝きがない」と酷評した。「原因はすべてアンナ、お前にある」

チーフインストラクターとしてスクールに「君臨」していた自分に、生徒たちが萎縮(いしゅく)してしまっていたのだとアンナは振り返る。

「生徒がまだ50人ほどの横浜校で、一度苦労してこい」。背中を押したのは父親だったが、「自分でも感じていたから、はっきり言われてよかった」という。

横浜の事務スタッフ(22)は「彼女は赴任してすぐ、生徒の写真を見て名前を覚えたり、時間をつくって皆と話したり、すごく変わったなと思います」と話す。

今、アンナは東京都内の自宅から東急東横線で横浜へ通う。週四日のレッスンのほか、月2回、ダウン症の子供たちにもダンスを教えている。

「横浜のスクールを、歌やダンスの技術だけでなく、精神的に鍛えられる場所にしたい」

船倉のレッスンは続いていた。

大音響の中を飛び跳ねる少女たち。そんな姿を見つめるアンナも、いつの間にか腕を上げ、歌いだしていた。(敬称略、徳光一輝)


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●読売新聞
(夕刊・子どものニュースウィークリー・いぶにんぐスペシャル)

会ってきました
「沖縄アクターズスクール」などの代表をしているマキノ正幸さん(61)
(H15/1/11掲載)
生きる力と勇気伝えたい

安室奈美恵さんやSPEEDなどが出た「沖縄アクターズスクール」。
代表のマキノさんは、「ドリームプラネット・インターナショナルスクール」(沖縄県恩納村)という新しい学校にも取り組んでいます。ドリームは夢、プラネットは惑星のことです。


――どんなスクールで、どれぐらいの子どもたちがいますか。
アクターは、役者などのことで、アクターズスクールは、歌やダンスを通して、豊かな個性を持つ人を育てているところです。沖縄で二百人、大阪で二百五十人、横浜で六十人が学んでいます。
それとは別に、ドリームプラネットというスクールに約百五十人がいます。小学生から大学生までがいっしょに住み、勉強しています。多くが沖縄県以外から来た子どもです。「自分を変えたい」と、全国から集まってきました。

――ドリームプラネットはいつ始まりましたか。
四年前に始まりました。私がかかわるようになったのは二○○一年九月からです。

――何がきっかけですか。
沖縄アクターズスクールからは、多くの歌手が出ました。人気歌手もいますが、夢をかなえられずにやめた子もたくさんいます。人として本当に大切なものは何かと考えた時に、それは一人ひとりのすぱらしい個性であり、人間性だと思ったのです。それで歌やダンスだけではない、スクールを始めたのです。

――伝えたいことは何ですか。
日本の子どもには、生きる力が欠けていると思います。それは、生きる力を持った大人に会っていないからだと思います。こういうことは学校の勉強では身に着きません。世の中に出だら、一つだけの正しい答えなんてどこにもありません。自分に起きたことをきちんと受け止め、それを乗り越えるカと勇気が必要です。
生きる目的とは、歌手になりたいとか、スチュワーデスになりたいとかではありません。どういう人間になるかだと思うのです。どんな仕事につくかではありません。

――いまの学校教育をどう考えていますか。
基礎学力という言葉をよく聞きますが、学校の勉強ができるのが基礎学力でも何でもありまぜん。生きる力というのは、コミュニケーションという、気持ちを伝え合う力です。言葉で言うのは難しいのですが、感じる心をつくることです。どんな人間になりたいのか、その上で生きるための知識が必要になります。

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